一時懸命

一所懸命という言葉があります。

 

中世時代に、もともと所領を持っている人が1か所の領地を命をかけて守って、生活の頼みにすることといいます。そこから、近世では、命がけで物事をすることを指すようになり、一生懸命とも言われるようになりました。

 

一時にも、その時だけとかその場かぎりとか臨時などの意味もあれば、ある短い時間を指すことがあります。

 

そこで、その一時(ひととき)に命を懸けるという意味で、一時懸命という言葉、そして、臨時にその時だけに命を懸ける意味で、一時懸命という言葉を提唱したいと思っております。

 

常に懸命にしていることはできません。一瞬に、勝負のときに懸命になることがあるかと思います。

 

そんなqつ1つの懸命の時間軸で連なって、人の人生である一生になっているような気がします。

 

今日も無事に過ごせたこと、そして、明日を迎えること。

 

なんとなく漫然と1日を過ごしているような気がして仕方がありません。

 

1日1日を大切にして生きたいものです。

 

また、私の好きな言葉に一期一会という言葉があります。これは茶道に由来する言葉で、茶会に臨む機会はそう二度と繰り返すことなないので、主人も客も一生に一度の出会いであると心がけて誠意を尽くすという意味で、それから、あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という意味になっています。

 

「一期一懸命」でも良いかもしれません。ときには、一生の中で一度命をかけるようなことがあるかもしれません。

 

 

 

 

年齢を重ねると見えてくるもの

この歳になると、徐々に周りが見えてくるようになる。

 

スポーツを見ても、個人競技でもその裏方の働きが見えてくる。自分の仕事もまた、自分ひとりでは全てできるわけではないことが見えてくる。

 

良いことも悪いことも、表に出ているのは一部に過ぎない。

そうした目で見ていくこと、なるほど、合点が行くことも多い。

 

報道されていることにしても、真実は別にあったりする。裏側を知るのは難しい。

 

裏側は表に出ないので、推測の域を出ない。

 

推測できるためには、経験が必要と言える。

 

病気にしても一部の症状から病気を見つけるのは難しいことがある。パターン認識では難しいことが多い点でいえば、歳を重ねて経験していくことが重要とも言える。

 

医療には、ときに、独特なカンが働くことがある。それは、無意識の中で経験が引き出されたものであるとして、裏側はなかなか見えない。

 

表だけを見ないようにしていきたいものです。

 

選挙でも人や政党を見るときに言えるかもしれません。

 

新元号になったときに

日本人の風習には、通過儀礼があります。

最近は、欧米の儀式も参入して、1年中、何らかのイベントがあるようになっています。

 

毎日がどうしてもパターン化するときに、ある意味、通過儀礼を入れることで、心身ともに活性化される可能性があります。

 

実際、今回の5月1日の新元号は、平成のときに比べると慶祝ムードになっていました。

 

即位以外に、吉事であったり、凶事であったり、その節目に、改元されていることもあります。

 

新スタートを言う意味では、1つの節目かもしれません。個々の新スタートを様々ですが、こうした国中の節目もまた、個々の節目になることもあるかもしれません。

 

過去を変えることはできないが、未来を変えることはできます。

 

この節目をどう考えていくのか、個々の課題でもありそうです。

奇しくも、自分自身、大きな変化があり、この節目を迎えました。

年齢的には、人生の後半になっております。晩節を汚さずにいたいものです。

 

五十にして天命を知るとあります。

Second Life(働き方改革を考えると)

諸般の事情で、この歳で職場を変えることになりました。

この年になると、なかなか慣れるのに時間がかかりそうです。

 

こうした決断に付きものは、これでよかったのかどうかと悩むことだと思います。

良くても悪いても過去を変えることができないので、今の環境になったときにいかに自分にとって良い方向を見つけることを考えることかもしれません。

 

これでよかったかどうかは、他人はどうであれ、自分が決めた以上は、前向きにいくべきと頭ではわかっていても、つい、こんなはずではなかったという思うときもあります。

 

それは、自分の調査不足の結果である意味自業自得でしょう。また、前職場も変わる可能性があるときに、良い部分はなくなり、それに反対すれば既存の勢力になってしまうかもしれません。

 

時の流れとともに変わっていく中で、自分も変わっていくこともなるでしょうし、組織も変わっていきます。

 

昔は良かったという表現は、その時代に戻れないので、意味がないかもしれません。

 

机上の空論かもしれません。

時代の変化とともに自分にも変化が

2019年は、平成が終わり、新元号になることが決まっております。

このタイミングなのでしょうか、自分の立場も大きく変わることになりました。

 

ある意味では、今までのキャリアの継続でもあり、リセットでもあります。

 

これは、時流に乗ってということになるのでしょうか?

恐らく、その結果は、10年後になるでしょう。

 

先日、発熱と全身倦怠感で体調を崩し、丸1日、ベッド上安静と内服薬(自己判断ではありますが、抗菌薬など)で何とか解熱したものの、頭痛が残っていて、何だがすっきりしません。年齢のせいにしたいのでしょうが、いろんな見えざるストレスがかかっているかもしれません。

 

年齢と共にましになることもあれば、ひどくなっていることもあります。

 

過去について悩むことも多くなりました。過去は変えることができないとわかっていても、気になることが時々フラッシュバックのように気になってしまいます。気にしても何も変わらず、むしろ過去にとられるために、先へ進むのに逆効果であるとわかっているのですが。

 

判っていても変えられないのは、きっと判っていないからかもしれません。

 

いや、判ったふりをしているだけかもしれない。むしろ、判らないという無知であるべきなのかもしれません。

 

体調を崩して、回復しきれていないなか、オンジョブリカバリーをしているために、どうも思考が途中で止まっているような気がします。これはある意味、防御機能かもしれません。

 

考えても仕方がないものは考えても仕方がない

 

つまり、私だけでなく、通過儀礼の中での新時代への幕開けに、不安と期待、望みと目標を持っているのではないでしょうか?

 

トップは1人でも、ワンマンとは違う

組織において速やかに決断しないといけないことは多々あるために、一見ワンマンにみられるかもしれません。

ワンマンとは違うのは、その決断した後のフォローが違ってくる。

決めて丸投げであれば、誰もその決断についてこない可能性がある。

仮についていってもそのモチベーションはあるのかどうのか…。

やはり、その決断理由を説明できるかどうか?合理的に説明できるかどうか、そして、いかに組織の共通の案件にできるかどうかにかかっています。そして、決断という言葉の通り、何かを決断した時には、何かを捨てています。

 

一方、決断が待てるとき、周りの意見を聞くことも大事です。

人はよく思い込みをする。よく聞き違いが起こったり、都合の良いことだけで聞いているのは、脳が選択している可能性がある。

特に、意見を聞くときには、良い点と悪い点を2つ聞くことにした方が望ましいかもしれない。物事には、良い面と悪い面があるので、その比較によって、何かを捨てて、何を取ることになるわけです。

 

また、決断には、準備が必要です。情報収集して、メリット、デメリットを比較するわけです。無意識にそれをしている場合は、直感で決断しているとも言えます。

ただ、直感の場合、本人にも理由が分かっていないので、結果論になってしまいますが…。

 

 

資格をどう生かすか…

shikaku-japan.com

このようなサイトがオープンしました。

最近は、資格の勉強と受験できていないので、最近の受験情報を知るにはいいかもしれません。

 

最近は、資格を活かした実務的な業務として、一般社団法人の定款作成に関わったりしています。資格を活かせて面白いのですが、自分の時間って限られているもので、いかにうまく使うのはいつも大変です。もちろん、肝心な医療の仕事がバタバタしているのもあるかもしれませんが…。

 

特に、性格上、あまり仕事が溜まっている状態を好まないので、依頼案件はできるだけ速やかに行い、忘れることのないようにしていると、我ながらしんどいと思うのですが、そこは性格なんでしょうね。

 

もう少し余裕ができたら、資格を増やそうと思っています。毎年1つ増やそうと思っているのですが、なかなかできていません。つい勉強が後回し、勉強不足で合格できそうもないと受験申し込みの段階で中断してしまいます。

 

最近は、本当に駄目ですね…。