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他山の石(他山の医師)

この世の中に、他山の石がいっぱいあります。組織と呼ばれる中にも。

 

他山の石とは「よその山から出た粗悪な石でも、それを砥石に利用すれば自分の玉を磨くのに役立つ」という意味です。

 

玉石混交のこの世には、自分は玉でしょうか?石でしょうか?

 

玉になるためにまずは学ぶことです。学ぶことで、若い頃は角が立っていたが、だんだん丸くなっていくように。

 

ここで大切なのは、素材が玉か粗悪な石なのかです。

 

人も心次第では、玉にも粗悪な石にもなります。

 

どうしたら、玉になれるのでしょうか?

 

それは自分自身をしっかりと分析することです。良い所も悪い所も

 

なぜなら、自分を知らない限り、どう変えて良いか判らないためです。

 

医師は、意外と他山の医師かもしれません。良い所を学び、悪い所を修正していく。

 

医学以外を学ぶことで、玉に近づけるのではないかと思っています。医学は病気を知り、医学以外で人を知るのです。

桃李言わざれども下自ずから蹊を成す

 この諺は、司馬遷史記の李将軍伝にある「桃李不言下自成蹊」から来ております。

 

桃(モモ)や李(スモモ)は何も言葉を出していないが、美しい花が咲き、美味しい実が実ることから、その魅力にひかれて多くの人々が集まってきて、おのずと、その桃や李の木の下に自然と道ができることを言います。

道ができることで、さらに人が集まってきます。

 

例えると、魅力的な職場では自ら宣伝しなくても、多くの人材が集まると言えます。

 

美しい花は、見ればわかりますが、実はどうでしょう?

 

実が美味しいかどうかは食べてみないと判らないかもしれません。

しかし、実際に食べた人が、自ら宣伝しなくても、評判を広げてくれるわけです。

 

名実ともに評判が良ければ、辺鄙なところででも人が集まってきます。

 

自然に桃李(とうり)になることができればよいのですが、なかなか難しい時には、良い土壌や水、肥料で桃李を育てることも可能です。

 

仕事でいれば、環境と教育が大事になってきます。

 

桃李を育てるだけでなく、自ら桃李になることも可能です。そのためには努力も意識改革も必要かもしれません。

 

 

あなたならどっちを選ぶ?

A君、B君が同じ面積、米を栽培する農作業を仕事をしています。

 

C君は、仕事もせず、ぶらぶらしていますが、仁義に厚い人です。

 

ある日、A君が、まず、田植えをしていました。1人の力は無理で、苦労している所にC君が通りかかり、手伝うことになりました。

 

仕事が終わって、A君が一言

「手伝ってくれてありがとう。前に手伝ってくれた人はもっとしてくれたけど、C君は普段、暇そうにしているから、頼りなかったけど、また手伝ってね」

 

翌日、B君も田植えをしていました。やはり、B君も苦労していました。C君はまた、手伝うことにしました。

 

仕事が終わって、B君が一言

「手伝ってくれてありがとう。C君が手伝ってくれて、本当に助かったよ。また手伝ってね」

 

さて、収穫の時期に来ました。

A君もB君も、一人では大変なので、手伝ってくれる人を募集しました。

 

C君も仕事をしないといけないと思っていました。

 

A君とB君

 

Q1.C君はどちらの募集に応じるでしょうか?

 

Q2.どちらの田んぼが大きくなっていくでしょうか?

 

あなたの心の中に答えはあります。

 

大きくなった田んぼは、引き継がれていく。これが教育していくことかもしれません。

 

 

受け継ぐ

前回を話題にしましたが、多くの弟子を輩出した孔子の著書「論語」に、「五十にして天命を知る」とあります。

 

孔子自身は74歳で亡くなりましたが、当時(紀元前)にしては長寿でした。

 

50歳は、一世代30年とし、成年を20歳とすれば、丁度、子に受け継ぐことを意識する年齢かも知れない。

 

子は、実子だけでなく、社会の子どもたちであり、次世代へ引き継ぐことを考えないといけないのかもしれない。

 

仮に、現在の平均寿命まで生きたとして、80歳。

 

50歳は、既に、マラソンでいえば、折り返し点を過ぎてしまった。

今までは、自分ができることを増やしてくればよかったかもしれない。

 

これから、自分のしたことで良いことであれば、残していくこと、そして、持続可能なライフスタイルを継承していくことかもしれない。

 

100年続く企業が、残っていける原動力は何でしょうか?

 

そこには、人から人へ受け継ぐ力があるのかも知れません。

 

どうやって受け継いでいくのか、先人たちは論語のように書物を残してきました。しかし、書物だけでは伝わらないことがあります。企業であれば、社訓かもしれません。

 

時代の変化の中に、イノベーションは必要です。先人が起こすイノベーションと後生が起こすイノベーションとどちらがその時代に近いでしょうか?

 

後輩が先輩の業績を受け継ぐのでなく、むしろ、先輩が後輩の業績を後押しする。

 

それがイノベーションのDNAを受け継ぐことかもしれません。

 

後進に託す

信長が好んだ舞である敦盛に「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」とあります。

人の一生とは天に比べると儚いものであるという意味です。

丁度、この五十年を意識にするようになってしまいました。人の一生が50年というわけではなく、人の一生の比喩として50年とされていると言われています。

また、孔子論語では、「五十にして天命を知る」とあります。

五十歳になると、天から与えられた自分の使命を悟るようになるということです。

 

個人的にはもともと体が強くない中、ある意味、今はここまでよく生きてこれたという思いです。

 

医学生時代に、ウイルス研究所で本来の医学教育とは別に、授業が終わってから実験をして英文論文1編を作成し、米国NIHにも私費ですが2カ月行かせてもらうことができました。

臨床医という道を選ぶことになりましたが、その研究生活を経験したためか、毎年、学会発表したり、論文を書いてきました。

 

医師になって論文も英文論文3編、日本語83編の筆頭著者で、問い合わせ先著者が2編(最近は、筆頭にならず、問い合わせ先著者になっています)です。医師になってまもなく25年ですので、年間3編書いたことになります。

 

丁度、「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」という諺のように、死んだ後に名前を残すような生き方を意識してきたつもりで、縁があって、さらに書籍(一般書4冊、医学書1冊)を書く機会を得ることができ、自分の実力以上に名が少し残ったのかなと思うこの頃です。

 

具体的に決まったらまた、アナウンスしたいと思っていますが、一般書を今年中に出版できたらと思っています。

 

天命とは何か?企業の創設者が、持続可能なビジネスで企業を残そうとしていくのと同じで、自分の経験などを後進に託すことかもしれません。

孔子が「論語」で後進に託したように。

 

後進に託すにも、人材がいなくては話になりません。

 

持続可能にするため、後進に託すため、大和高田市立病院に臨床研究センターを立ち上げることになりました。

臨床研究センターは、既にある教育研修センターとともに後進に託すための環境づくりを行っていきます。研究というプロセスで、論理的に物事を考えること、統計学、疫学などを通じて、論文を作成できる環境づくりをしていくことになります。

 

こうした環境が人材を育てる良い環境になるのではないかと思っています。種さえあれば、芽が出る環境を整えたいと思っています。

 

いよいよ大学受験も決戦に

大学受験から30年以上も経ってしまいました。

また、子どもの大学受験も終わり、やっと、大学受験と言う呪縛から解き放たれました。

 

世間では、これから大学受験を中心に、4月の桜の季節までに、サクラサクという言葉を貰いたいものです。

 

サンデー毎日週刊朝日では、毎年、大学合格者の高校別が掲載されています。以前は、医学部などは氏名が掲載されたこともありました。さらに、合格発表の掲示板では、番号だけでなく、氏名まで出ていましたが、最近は、番号だけで、さらにネットでも番号が確認できる時代になりました。

 

試験の感触が悪い時には、ネットもない時代、大学構内へ行くのは憂鬱でした。

 

もっとも合格者には後日、手続きの書類が郵送されてくるわけですから、待っていてもよいのですが、やはり、それはそれと早く結果を知りたいものです。

 

インフルエンザが流行っていますので、受験では、健康管理が一番大事です。何事も健康あってのことです。

 

次に、十分な睡眠を取っておきましょう。少しでも暗記したいと思うでしょうが、睡眠不足で、力を発揮できないこともあります。

 

この数年、資格試験を受けていませんが、試験前は、睡眠をなるべくとるようにしていました。

 

日頃の勉強してきたと自分を信用して、人事を尽くして天命を待つという心境で。

 

最後まであきらめないこと。1日目で失敗しても2日目で何とかなることもあります。

私がそうでしたから。そして、一度の失敗しても、捲土重来です。私は一浪しましたから…。

 

皆さんの健闘を祈っています。

情報の真実はどこに

よく判らない時に、キーワードを入れて検索すると思います。

検索して上位に出てきたものが正しいとは限らないことがあります。

また、人の脳はつい、自分に都合のよい情報に対して興味を示すことがあります。

 

どうしたらよいのでしょうか?

 

1つの情報のみを鵜吞みにしないようにしましょう。複数の情報を見ておきたいものです。注意しないといけないのは、複数の情報を見ていると思っていると、同じ出典だったら1つと同じです。

 

もの見方も1つではありません。できれば、広い視野で物事を見たいものです。

 

自分の人生はほぼ終わったかもしれないと思った時に、残された道は何ができるのか、それは生きていく1つの方法を残すことかもしれません。

 

思い込みが危険です。なぜなら思い込みが過ぎると、思い込みにすら気付かないからです。

 

錯覚って現象は知っていますよね。それと同じです。

 

目に見えている情報だけが真実とは限らない。