トップは1人でも、ワンマンとは違う

組織において速やかに決断しないといけないことは多々あるために、一見ワンマンにみられるかもしれません。

ワンマンとは違うのは、その決断した後のフォローが違ってくる。

決めて丸投げであれば、誰もその決断についてこない可能性がある。

仮についていってもそのモチベーションはあるのかどうのか…。

やはり、その決断理由を説明できるかどうか?合理的に説明できるかどうか、そして、いかに組織の共通の案件にできるかどうかにかかっています。そして、決断という言葉の通り、何かを決断した時には、何かを捨てています。

 

一方、決断が待てるとき、周りの意見を聞くことも大事です。

人はよく思い込みをする。よく聞き違いが起こったり、都合の良いことだけで聞いているのは、脳が洗濯している可能性がある。

特に、意見を聞くときには、良い点と悪い点を2つ聞くことにした方が望ましいかもしれない。物事には、良い面と悪い面があるので、その比較によって、何かを捨てて、何を取ることになるわけです。

 

また、決断には、準備が必要です。情報収集して、メリット、デメリットを比較するわけです。無意識にそれをしている場合は、直感で決断しているとも言えます。

ただ、直感の場合、本人にも理由が分かっていないので、結果論になってしまいますが…。

 

 

資格をどう生かすか…

shikaku-japan.com

このようなサイトがオープンしました。

最近は、資格の勉強と受験できていないので、最近の受験情報を知るにはいいかもしれません。

 

最近は、資格を活かした実務的な業務として、一般社団法人の定款作成に関わったりしています。資格を活かせて面白いのですが、自分の時間って限られているもので、いかにうまく使うのはいつも大変です。もちろん、肝心な医療の仕事がバタバタしているのもあるかもしれませんが…。

 

特に、性格上、あまり仕事が溜まっている状態を好まないので、依頼案件はできるだけ速やかに行い、忘れることのないようにしていると、我ながらしんどいと思うのですが、そこは性格なんでしょうね。

 

もう少し余裕ができたら、資格を増やそうと思っています。毎年1つ増やそうと思っているのですが、なかなかできていません。つい勉強が後回し、勉強不足で合格できそうもないと受験申し込みの段階で中断してしまいます。

 

最近は、本当に駄目ですね…。

100年人生もあるのだろうか?

1日はいろいろとあって、なかなか更新できていませんでした(反省です)。今日は時間があると思ったら、依頼原稿が来たりする。気になることはできるだけ速やかに解決しておきたいと思っているためか、依頼原稿は数日で書き上げることにしている。まあ性格だから仕方がない…。

 

さて、人生100歳まであるのでしょうか?

100-今の年齢って、50歳だと丁度折り返し地点?

 

仮に明日のことを考えても明日が来るという保証もない。

朝、起きると生きていることを実感する年齢になってしまった。

 

時代の流れとともに、その時代のニーズが変わり、それに対応していくことは大変になってきている。

 

つい年を取ると、過去と比較してしまう。でも、今日以降を生きているのである。過去を変えることはできないものの、今日以降を変えることはできる。その時にどうしても過去の経験で判断してしまう。経験が生かせることもあれば、生かせないこともある。

少なくとも勘やひらめきを呼ばれるものは、過去の経験の産物である。

 

ふと歴史をみると、結構は歴史は繰り返される。意外と人は学習能力はないのかもしれない。

 

過去から学ぶ、過去にとらわれない、という矛盾する課題は、1つの問題では矛盾でも観点を変えることで両立する。

 

とはいえ、今日以降生きるために、明日目覚めた時に何ができるのか考えていきたい。

特に、最近は、勉強不足なので、少し計画を立てないといけないなあと思うこの頃である。

そして、今日1日何をしたのかその意味を考えるようになってしまった。

 

来年のことを言えば鬼が笑うというが、来年はどうなっていることやら…心配しても仕方がないのだが…。

度量の大きさは?蟹は甲羅に似せて穴を掘る

蟹は甲羅に似せて穴を掘るとは、人はそれぞれの力量に応じた言動を行うことを言います。

 

ふと、人はいろんな人間関係の中で生きています。そして、よく思われたいと思っていることが多いかと思います。悪く思われたくないとも思っているかと思います。

 

でも、よく思っているのか悪く思っているのかは、その人にしかわからないことで、それを推定しているに過ぎない。つまり、思い込みです。自分がそう思っているに過ぎない。人である以上、共通点が多いので、多くの人が共感を得ることが、一定の価値観として共有することになります。

 

しかし、10人いれば、10人の個性がありますので、すべて共有することは難しい。その違いを許容できるかできないかがその人の度量を現わしているのかもしれません。

 

度量が狭いと、人とよく衝突することになります。ストレスが多い中では、度量が狭くなりますし、その度量は人によって異なるだけでなく、人の中でも日々変わってきます。

度量が狭いと、怒りの閾値が低くなります。

 

では、度量を拡げるにはどうしたらよいのでしょうか?

 

実は、答えはないのです。なぜなら、答えは1つでなく、また、時間ともに変わってくるからです。

 

きっと、良い答えがあれば、私も苦労しないですむのかもしれません。

 

単なるの感覚的なものですが、自分も含めて、だんだん度量の狭い社会になっているのかもしれません。

 

度量を拡げるには、やはり努力しかないのかもしれません。

結局、試行錯誤しかないのです。なぜなら、時間は戻らなく、一方通行だからです。

 

「こんな人たちに」「排除いたします」に現れる国民感情

選挙では、たった一言で、状況が変わることを思い知ることになりました。

 

「こんな人たちに」「排除いたします」は、実は、同じような意味で、自らの価値観を人に押し付け、人の意見に耳を貸さず、驕りから出てくる言葉と言えます。この2つのワードは和に反します。

 

日本人の重んじる、和の心が傷つけられたと感じるのではないでしょうか?

 

和は、2つの価値観が常に競合します。

①和を重んじるあまりに、出る釘をたたかれる場合

②和を重んじ、協調していく場合

どちらも昔から見られた風潮です。

 

謙虚と言っても、言葉でなく、行動に示すことが重要です。

 

「謙虚」とは、コトバンクから引用すると、「控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること」とあります。

 

最近の、神対応と言われる行動も、「謙虚」に対応した結果ともいます。

 

人はつい、思い込みをしやすいです。思い込みをしやすいと思っていると、謙虚になれるのかもしれません。

 

日本は、倭の国と呼ばれました。倭、和、(人の)輪の3つ「わ」はキーワードとも言えます。

聖徳太子憲法17条に「和をもって貴し」とあり、その精神が今も生きているのかもしれません。

 

「和」が問われている時代になったのかもしれません。

 

自動車の運転も和をもってすれば、トラブルは少なくなるとも言えます。

 

日本は生き残るための1つは、軍事力だけでなく、「和」とも言えます。

 

そういえば、「平和」という言葉もあります。

 

子どものことを考えている小泉進次郎氏が厚生労働大臣になるといいかも

自民党が戦略的に選挙に勝った。勝ちは勝ちなんだろう。勝ってもなお、謙虚な小泉進次郎氏には共感するところは多い。

 

子どもたちに引き継ぐのは、負担だけでよいのでしょうか?2年後に消費税を教育の無償化に使うと言って、選挙になったけれど、2年後にどうなっているか判らない。

 

昨日の小泉氏の取材テレビを見ている限り、将来の子どもたちのことを考えることが判った。現場の医師は、一人一人で精一杯ですが、国全体を考えてくれる政治家には、全体として頑張ってほしい。子どものための政策を実行するのは、保育園を管轄する厚生労働省です。そして、病気にならないためのワクチン行政も厚生労働省です。

 

子供たちを取り巻く職業は、結構しんどい割には、あまり報酬的でも社会的にもあまり評価されていないことが多い。保育士、教師、小児科医など。

この点も改善してほしい。

 

子どもを支える、選挙権のない子どもの代弁する政治家が増えてほしいです。

 

もう少し、私が若くて、看板、地盤、カバンがあれば、選挙に打って出てみたいところですが…。

 

加計・森友突破解散から自民の信任するかしないかの選挙に

準備が整っていないのを見込んで、仕掛けたところ、希望の党日本新党時代のようにキャスティングボードを握る程度であった可能性から、民進党の体力不足によって民進党希望の党に合流し、そうなると、自民対非自民の構造ができてしまったようである。

 

公明党がキーポイントになってきました。都議会のようになるのか?

 

選挙に政策論争と言っているが、政策論争にならない。それは、今まで公約が守られたことがない我々、国民にとって、もはや政策で選ぶことができない政治不信が続いているからである。

 

自民でも非自民でも今後、改憲になる可能性があります。国家安全と第9条および自衛隊の問題から言えば、現実を会わない部分が出ているのも事実でしょう。しかし、私として、護憲したいのは、むしろ第97条です。

 

憲法第97条は

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 

時の政権によって、基本的人権が捻じ曲げられないためにも、この条文は非常に重要です。この条文こそ国民主権の根源です。

 

さあ、どうしたものやら、国民不在の党利党略の選挙に対して、YESではなく、NOをつきつけるのは、どちらなのか?

 

また、権力闘争でのドラマが始まってしまった。

政治家一人一人の質の低下の中、真の政治家はいるのだろうか?

政治家になって勉強する人より、既に法の知識のあるものを選ぶシステムが必要なのかもしれない。税金で勉強されても…。

 

とはいえ、行政資格をもって法知識のある私でも、資金はないし、選挙には出れないなあ…。