絶望と虚無感

オリンピックは勇気と希望を与えることができるのか?それとも、何かあっても医療機関に受診できない絶望とただ、病気になっても待つしか無い状況の虚無感を持つことになるのか?

アスリートでないので、その価値観は判りませんが、オリンピックの真価が問われているのかもしれません。

 

そして、今、国民全体がうつ状態になりつつあるのではないでしょうか?

 

不要不急の外出を控えることと、イベントや施設への外出は必要なのか、整合性は取れていない中、すべて自己判断、自己責任にされているような気がします。

 

そして、一番問題なのは、真面目に取り組んでいるほど損をしているような意識が出てくることです。

 

感染対策については、専門家での意識では緊急事態宣言も蔓延防止対策もオリンピック開催の是非や規模についてもぶれていないのに、政治になると、実施する基準がぶれているために、絶望と虚無感があるのではないでしょうか?

 

つまり、今の政治は、都合のよく基準を朝令暮改にしているために、絶望と虚無感しかありません。

 

投票で政治は変わらないかもしれませんが、今の政治の評価を投票で示すことはできます。投票棄権では、むしろ政治家の人は、ポジティブにしか捉えません。

 

来たるべき、衆議院選挙で、棄権ではなく、意思表示をしたいものです。