芸術、文化の評価は難しい

今回、オリンピックのエンブレムに応募資格が厳しかったようです。

既に賞を受けた人しか応募できなかったようですが、芸術、文化での評価は数字化できないために、難しいものです。

いろんな人が応募できたらよかったかもしれません。そうすれば、数が多くなり、選考に支障が出るのであれば、真剣に応募できるような工夫、例えば、選考に審査料を必要とするとか、あったかもしれません。

 

ご当地キャラでも、公募をして、一番人気の名前やキャラクターが採用されるとは限りません。つまり、選考基準が数字化されないのです。

 

今回の、オリンピックのエンブレム選考についても、普通、選考されたものが何度も修正されるものなのでしょうか?確かに企画書は採用されても修正されるでしょう。でも、デザインに関しては、修正すれば、別のデザインになるのではないかと思ってしまいます。

修正を必要とするものを選ぶということは、ベストを選んでいるわけではないという疑念が生じるのは自然の流れのような気がします。

多分、そうした自然な発想と選考とは乖離があって、今回の騒動になったわけです。

もう少し早く判断すれば、損失も少なった可能性があります。

何だか後手後手に回っているような状態のようです。

 

もちろん、失敗は付き物ではありますが、失敗を次にいかに生かすかが大事になってきます。しかし、芸術の評価は難しい。そして、その評価1つで、高価にもゼロにもなるわけです。

 

きっと、自分が気に入れば自分にとって価値があり、自分が気に入らなければ、自分にとってはゼロなんでしょう。そう思える人が多いほど、価値が高いものかもしれませんが…。