結果論から話し始める怖さ

医療に対するネガティブな書籍が本屋で平積みされています。医療に批判的な題名が踊っています。私は、このような書籍を買わないし、読む気もないので、直接的な批判、批評は避けたいと思います。

ただ、この世の中、あまりにも結果論から、非難されることが多くなった印象を受けていますので、ここであえて持論を述べたいと思います。誰かを批判するつもりはありません。

 

■がんとがんもどきについて

がんは治療しても治らないから治療しない。がんもどき(この言葉は好きではないのですが、一般的に普及されているので、あえて使いますが)は、治療しなくても治るから治療しない。だから、がんは治療しないと言う論理はどうでしょう?最初からがんかがんもどきか判っているなら、その通りでしょう。でも、診断時点で、100%、がんかがんもどき区別することは不可能に近いのではないでしょうか?

 

■結果が悪いと訴訟

例えば、手術の結果、死亡した場合、失敗と言って、非難されることがあるかと思いますが、悪い結果を願って手術しているわけではありません。確かに、手術の成功率は人によって様々かと思いますが、100%、どんな条件でも成功する手術はありません。

 

そもそも、この世の中は、残念ながら、100%と言えるものがない、混とんとしているのです。秩序があるように見え、また、自然現象が数式で証明できたとしても、その自然現象が永続しているかどうか誰にもわからないし、本当の真実は何なのか、未だに結論は出ていない気がします。

それは、人は、時間軸を、現時点で、一方通行で生きている以上、過去に戻ることができませんからだと思います。

 

仮に、戻ることができたとしたら、戻ることを前提に、現在の世の中が動いていますので、常に修正されてしまいます。例えば、バックツーザフーチャーという映画ですが、娯楽的には面白いと思いますが、時間軸で考えると、過去に戻った時点、時間軸が既に違った時間軸になりますので、タイムマシンを開発した時間軸は消えてしまい、その違った時間軸で、またタイムマシンが作られるかどうかになります。常に、タイムマシンが作られる時間軸の上に、人は乗っていることになります。

 

ともあえ、現時点では、過去に戻れない以上、結果だけで判断するのではなく、そのプロセスを大事にしたいものです。

 

医療においては、人は、体のどこかで故障して、病気になります。その病気によって様々な障害が出てくるわけです。それを見つけて、治せる場合は治していくのが医療行為です。医療行為で死亡するのではなく、発見ができなかった病気によって死亡するのです。病気の早期発見に心がけていても、100%見通せる人はいるでしょうか?

 

この世の中、無常であり、常に時間が流れ、常に全く同じものはありません。

 

医療では、悪い結果をできるだけ減らす努力は必要でしょう。この世の中、一度も失敗したことがない人はいない。今までなかったから、起こることはないと言えないのです。結果論だけで結論を出すのは危険です。

 

結果でなく、プロセスも大事です。

他人の型を飲み込む器量を

十人十色と言う言葉で示されるように、十人いれば、十人、違った考え、違った価値観があります。そして、やはり、自分が常に正しいと思っていては、自分の主張を通すことになります。

 

でも、それでいいのでしょうか?

 

いろいろな意見をしっかりと合わせながら、いいものにしていく姿勢が最近少なくなってきたように思います。

 

声の大きな人が場を仕切っていく、確かに、自分に自信があれば、自ずと声を大きくなるでしょう。そして、相手に同意を求め、自分の主張を通していきます。

 

これだけは譲れないこともあるかもしれません。

 

何かを決める時には、リーダーシップは必要ですが、強引さは不要です。

 

人が失敗する時に、大きな弱点が「思い込み」です。思い込みは油断を生みます。強引さは思い込みの結果にほかなりません。

 

政治とは、正しく治めるわけですから、治めるのは押し付けるのではありません。

 

ぜひとも、相手の意見にも耳を傾け、妥協点で着地することが、一番、ソフトランディングのような気がします。

 

他人を自分の型にはめてしまい、その型に外れたことに非難するのではなく、自分の器を大きくして、他人の型をも飲み込むぐらいの器量がリーダーには必要です。

 

了見は広くしたいものです。

 

議論がかみ合わないとき、それは自己主張ばかりしているときかもしれません。

相手の言葉に耳を傾ける、相手は頭ごなしに決めつけない、それがコミュケーションに必要ですし、コミュケーション不足が誤解が生まれます。

優秀な馬でさえ老いては平凡な馬にも劣る、いわんや…

騏驎(きりん)も老いては駑馬(どば)に劣るという諺をご存じでしょうか?

 

どんなにすぐれた才能を持っている人もで年を取って老いてくると衰えてしまい、普通で平凡な人にも及ばなくなるということです。

 

騏驎は、駿馬と言って、足の速い優秀な馬です。

駑馬は、足の遅い平凡な馬です。

馬は、足の速さで判断されています。

 

では、騏驎より劣る馬ならどうでしょう?老いると、もっと駑馬(どば)に劣ることになります。

 

自分の能力を知っておくべきで、自分の引き際も大事かと思います。

 

自動車の運転も、ちょっとした不注意が大きな事故につながります。自分も自動車運転の引き際を考えています。

仕事でも同じことかもしれません。大きな影響のない部分では生涯現役は可能でしょう。しかし、能力の低下が事故を招くのであれば、引くべき時は引くべきかもしれません。

 

ところが、騏驎は優秀なので、その引き際を知っていますし、駑馬は自分の能力を知っているのですが、騏驎より劣る馬は一番厄介です。引き際も能力も知らないからです。

自分だけはそうありたくないと思う今日この頃です。

 

モラハラになっていませんか?

モラハラはモラル・ハラスメントを略して言いますが、精神的な虐待や嫌がらせのことを言います。フランスの精神科医の先生が提唱した概念です。

基本的に、相手に対して、言葉や態度等によって行われる精神的な暴力で、実際の暴力と違って、実際に目に見えないために、厄介と言えます。

 

予備軍があるのですが、以下の項目に当てはまる、身近で当てはまる人はいませんか?

 

心理カウンセラーの奥元絢子さん(WillCrown代表)に監修
■モラハラ予備軍チェックリスト
1.自分と価値観や立場の違う人を理解しようとしない
2.他人の成功話や幸福なニュースを嫌がる、見下す
3.疑い深い
4.店員や後輩に偉そうな態度をとる
5.周囲にも自分のやり方を押し付けがちである
6.素直に謝ることがなかなかできない
7.誤りを指摘されたり、反対意見を言われたりすると怒る
8.自分に不利な状況になると逃げ出したり人のせいにしたりする
9.趣味やストレス発散法を持っていない
10.相談できる友人やコミュニティを持っていない

出典モラハラ男・女に共通する特徴 | web R25

 

3つ以下だと心配なし、4~6つとなると要注意、7つ以上で危険信号だという。

 

モラハラを受ける側は、かなりのストレスがかかっています。心身ともに疲れてしまうために、うつ病や心血管系の病気になることもあります。ある意味、精神的に毒を盛られているようなものです。従って、毎日、モラハラを受けている方が、単発より寿命が短くなると言われています。

 

さらに、モラハラする人には

被害者意識が強い。なぜ、自分だけという意識を持っている

人には寛容性がなくて、自分に甘い

言葉に、「いつも」と言って、すべて決めつける

人の失敗は責める

などなど、挙げればキリがない。

 

このモラハラの問題点は、モラハラをしている人に自覚がないことです。

 

自覚が無ければ、修正することができません。自覚がないので、他人の言葉に耳を傾けることはありません。

うつ病も自分に自覚が無ければ、病院に行きませんので、なかなか治りにくくなります。

人には欠点のない人はいません。失敗しない人もいません。そこから始まらないと何も生まれません。成功も失敗もその人の観点であり、失敗であっても、成功につながるのです。

 

身体の痛みもツライのですが、心の痛みもツライものです。

 

モラハラを受ける側は、本当に疲れます…。せめて加害者にならないように気をつけたいものです。

 

言い方ひとつでお互いに気分も変わるのに

■意思伝達

人と人との意志伝達として、文字と会話があります。なかなか、心の中を相手に伝えたり、読み取ることは難しい。もちろん、一定の訓練をすれば、ある程度を予想することができますが、多くの人が必要としている意志伝達の手段は、文字と会話です。

 

■文字

文字表現で、日本語には尊敬語、謙譲語、丁寧語などの表現があって、文字で様々な形で伝えることができます。とはいえ、文字だけでは、難しいこともあります。物書きをしていると、一度書いてから、少し冷静になって読み直さないと、表現がおかしいことがあります。とはいえ、物書きでは、締切もあって、あまり時間をおくことができませんから、結構、切り替えが重要だったりします。

 

■会話

これが、意外に難しいものです。相手に、決めつける言い方は、どうしても喧嘩になります。特に、自分の要求を伝える時に、「いつもこんなんだから、○○しなさい」という表現は、反感を招きます。いつもこうなんだからという決めつけると、相手は、いつもではないと思っていますから、○○したくなくなりますし、仮にしても、やる気がない分、却って、自分がしたほうがよかったということになりかねません。

 

まずは、自分が何をして欲しいかを伝えるべきで、過去の事を持ち出しのは良くないと思われます。

 

同じことを頼むにしても、本当に言い方1つで何ですが…。極端、へりくだる必要もないのですが、決めつけの表現は避けた方がいいかもしれません。

 

こんな会話していませんか?

 

あなたはこうだからと言われて、「はいそうです」と思う人は少ない気がします。自分の何が判るの?と思いませんか?

 

普段言われているので、自分はなるべく、決めつけない様にしていますが、人はどうしても自分の価値観を相手に押し付けがちです。注意しないと思うのですが…。

恋はネットの怖さも盲目にしてしまう!?

r25.yahoo.co.jp

■「キス動画」を撮影した時は

この時は、恋愛中で相手が傍にいるだけで幸せだったと思います。幸せはいつまでも続くわけではありません。そもそも、恋人、夫婦は、出会う前は赤の他人ですから、自分とは異なった面が出てきます。そうした面に対しても、寛容であれば、恐らく、幸せな時間が続くと思いますが…。幸せな時を記録することを否定するつまりはありませんが、ネットに流すことは、周知の状態になるわけです。一旦、ネッに流れると、元を消しても、どこかで保存されているかもしれません。

 

■別れも、楽しい時の思い出を残すという考え

確かに、そうした考え方もあるかと思います。でも、失恋して、次の恋をするときに、その思い出が心の中ではなく、ネットに残っていて、昔のネガを焼けば焼き増しはできないのと異なり、ネットでは、元を消しても、誰かがダウンロードしていて、別のサイトで勝手に掲載されていたり、編集されて、悪用される可能性もあるわけです。

 

■ネットの怖さ

こうした考えを書いていると、もちろん、賛否があることは承知しております。コミュニケーションは、言葉以外の要素で伝わります。こうしたブログもそうですが、ある意味一方通行の情報です。また、私が情報提供を行っているAll Aboutもできるだけ役に立つ情報提供に心がけていますが、やはり一方通行です。そのため、その内容には注意が必要だと思っています。以前、炎上芸人と言われる芸人のネットニュースにそうとは知らずについコメントして、真意が伝わらず、結構、その芸人を含めて賛否両論で炎上したようなことがありました。

それまでに売れている芸人についてのコメントをしたことがありましたが、その芸人は気にしない感じでした。テレビで出ている以上、いろいろと言われるのは当たり前ということかと思いますが、さすがと思いました。

 

ネットである程度、名前を出している以上、自分もある程度の覚悟はしています。

とはいえ、ネットで真意が伝わないことはありえます。

 

若さゆえに、恋は盲目で、つい、自分の幸せを見せたい気持ちは判りますが、見る方では、確かに「いいね」と押してくれるかもしれません。でも、ネットの怖さには盲目にならないように。

 

ネットが一般的になり、テレビの視聴率低下が言われています。テレビがネットを取り上げている時代になり、テレビの危機感も感じられますが…。

 

 

冷たいけど仕事ができないと…

 ■会社員7割「ダメ上司でも支える」

http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20150428-00041955-r25

 

要約:20~30代の会社員200人に「上司」へのスタンスについてアンケート調査を行ったところ、「上司に持つならどちらのタイプの方がいい?」という質問に対し、「冷たいけど仕事のできる上司」と答えたのが68.0%、「優しいけど仕事のできない上司」と答えたのが32.0%でした。しかし、「優しいけど仕事のできない上司の部下になってしまった場合、どんな接し方をする?」という問いには、「なんとかして上司を支える」と答えたのが74.0%。

 

■優しいけど仕事のできない上司の部下になってしまった場合、「なんとかして上司を支える」と答えたのが74.0%。

確かに、優しいなら、支えるのかもしれません。仕事ができない部分はどこかに負荷としてかかってきますので、その場合は、部下になるわけですが、部下として支える訳ですね。これは、多分、自分が上司になった時の事も考えているかもしれません。上司にあるのは、必ずしも仕事ができる人がなるわけではないからです。

 

■冷たいけど仕事のできない上司の部下になってしまった場合は

この場合は、支える割合は減ると推定されます。その意味では、支えてもらえそうならないといけないということかもしれません。誰かが支えてくれると言う気持ちで仕事をしているとすれば、それは、本当に仕事ができないということもかもしれません。

まずは、不器用でも、自分で努力してこそ、活路を見いだせるものです。そして、自分が嫌なことは人にもしないことが大切かもしれません。

 

さて、いつもながら、理想の上司を、よくタレントなどで例えられます。

 

これについてはいつも違和感を感じます。

 

なぜなら、分野が異なれば、理想の上司は異なってくるからです。タレントや芸能人で、確かに、テレビで見せている部分がすべて真実とは限りません。

もし、テレビの撮影の無い状態でも、同じような感じなんでしょうか?

 

仮に、ここで挙がっている理想の上司第1位の松岡修造さんは、テニスという分野では、素晴らしい才能を発揮されておられ、立派な人だと思いますが、本当に、松岡修造さんがあなたの会社の上司で大丈夫ですか?

 

自分のそうですが、人間は、つい見えている部分で判断しがちですが、見えている部分は、氷山と同じです。見えていない部分は多くあります。ただ、この見えていない部分は、自分も見えていないこともあります。

 

理想の上司かどうかは、自ら心がけるのみで、評価は他人にあります。他人の評価は気になる所ですが、自ら信じて行動するしかありません。

 

「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」ということでしょうか?

また、諫言は耳に痛し.と言います。甘言に惑わされず、諫言に耳を傾け、改める時には改める