士は己を知る者の為に死す

自分の真価を認めてくれる人に対しては、その人のために尽力できると意味です。

 

自分が思っているより、上の評価が低いことがあります。それは、上の器量がないのか、実際に自分の評価が低いのかどちらかです。

 

諸葛亮孔明も、水鏡先生に、臥龍と称され、その頃、不運の英雄として名を成していた劉備玄徳の軍師に迎えられて、その才能を発揮することができました。

 

豊臣秀吉が天下を取れたのは、黒田官兵衛を軍師として、その意見を聞いていたからです。

 

暗愚なトップは、井の中の蛙大海を知らなく、人の意見について聴取せず、後になってバタバタします。そして、非常に判断がぶれます。そのため、現場は混乱を招きます。

 

今回、いろいろと思うところがあって、トップの力量が重要だと実感しました。そして、人は自分の限界を知り、自分のできないことを補う人材、そして、諫言が耳に痛くても聞き入れる裁量をもつトップがいかに少ないことか。諸葛孔明が晩年、劉禅の補佐でなければ、もう少し才能を発揮できていたと言われています。

 

己を知る者がいません。なかなか自分の才を活かせることができません。

 

とはいえ、自分の才はオンリーワンですが、知識の幅を広げようと思っています。