井の中の蛙大海を知らず
井の中の蛙大海を知らずという諺を知っているでしょうか?
「荘子」から出た言葉で、自分の住んでいる世界がすべてであって、他の広い世界を知らずに、狭い了見を持っていることを言います。同じような言葉に、「夜郎自大」という言葉もあります。
人はつい、自分の周りのことばかりにとらわれてしまい、大局を見失いがちです。それが組織のトップであれば、その組織の崩壊を招きます。
残念ながら、思い込みをしない人はいません。
蛙がいたるところにいます。
つまり、この諺を知っていることが大切です。井の中の蛙は大海を知らないものなんだ。だから、大海を少し知りたいと思う。
大海を知らない殿様蛙には、困ったものです。周りが見えない殿様が守る城は、簡単に落城します。
根拠のない自信は、行動力になる一方、道を誤れば、損害も大きい。
やはり、己の実力を知り、常に精進し、大海への出ていく蛙であるべきなんでしょう。
いかん!更新できていない
FacebookもBlogも更新できていない状況に陥ってしまった。
診療もさることながら、講演、学会発表などの準備、論文作成などに時間が取られてしまった感は否めない。とはいえ、書くネタがないともいえる。
この世の中に起こっていることについて、自分なりを意見を出したとして、恐らく、共感を期待して出していると思う。でも、共感されるかどうか、人はそれぞれ考え方が異なる…。
小さな意見が大きくなるかもしれないので、それで発信し続けることも大切だと思うが…。
でも…何も変わらない。ニュースの時事ネタに思うことがあって、自分の意見を言って、良い方向に変わればよいが、逆の方向に行くこともある。
つい、勢いで書いて、後で読み返すと、だんだん小さくなって、発信するまでもないかと思えてしまう。
歳をとると、モチベーションを維持するのが大変になってきたのかもしれない。
バーンアウト(Burn out)してしまっているのか、見通せない暗闇にいるのか…。
All About記事も増えていない…。同じようなサイトが出て、同じような記事が出る中で、読まれる記事のネタを考えているが、思いつかない…
…ばかりだ…。
これって、スランプ?
今年、本を出したけど、次のネタがない…。
結局、あまり更新していないので、言い訳みたいだ…。
じんましんに困っていませんか?
医薬経済社から「咳事典」から7年ぶり、一般向けの本としては、「アトピーを正しく知って治す新常識」(講談社)から5年半ぶり、医学書「小児アレルギー疾患診療ハンドブック」(中外医学社)から2年ぶりに、新刊書を出すことになりました。構想から既に数年経ちましたが、やっと出版の運びになりました。
その書籍は
「じんましんの真常識」(医学経済社) です。
じんましんについて、その原因などを詳しく書いています。ぜひともご参考にしてください。
今、思い直すと、最初の書籍「アトピー治療の常識・非常識」から8年経ちました。しかし、この「アトピー治療の常識・非常識」での内容は、まだまだ、十分通用します。最近、見直しましたが、書き直す所は少ないです。
ロングテールな内容です。
この次はあるのでしょうか?
とはいえ、ニーズがあっての書籍ですから何がいいのか?
小説は、時間のなさで挫折しました。エッセーも難しいし、誰も読まないでしょうし…。
医師国家試験後に研修医
研修医ですと、今日から仕事という人も多かったのではないでしょうか?
私の頃は医師国家試験が3月でしたので、働き始めは6月1日でしたが、今は、2月に医師国家試験があるので、4月~仕事が始めることができます。
2017年の医師国家試験の合格率はよくなかったようです。
自分の頃の大学での研修医時代は、良い思い出はありませんでした。給与は少なく、朝から深夜まで働いて、帰ると呼ばれたり、帰ることもない日もありました。バイト先で寝れる感じで、よく過労死せずに生きていてよかったと思っています(苦笑)。
その頃、勉強になったかと言えば…。
むしろ、市中病院で臨床医としていろいろと経験した気がします。さらに論文、実験などの考え方は学生時代に行っていたウイルス研究所、その時に、短期間ながら米国NIHで海外の実験室に行けたのが良い経験でした(私費でしたが)。大学院では、指導教官のご尽力で学位を取ることができました。
大学院を得て、再び市中病院で診療するようになり、その診療の傍ら、臨床研究や論文を書いてきました。
研修医時代は、臨床に大変だと思いますが、私の頃よりは時間がまだ優遇されています。ぜひとも論文の1つぐらい書いて欲しいです。
そんな論文を書く指導をできたらと思って、病院に臨床研究センターができました。不幸して、研修医が今年はいないのですが、来年にはぜひ、病院に来てほしいものです。
起業の難しさ
誰もが一度は思うかもしれない、一国一城の主。
しかし、起業はそう簡単ではない。起業して成功している人を見ているかもしれない。しかし、その成功の陰には多くの起業の失敗が隠れていることがある。
起業で成功した人の話を聞いても、同じようにできるとは限らない。やはり、タイミングであったり、状況であったり、多くの因子が関わってくる。
うまくビジネスが成り立てばよいが、軌道に乗るまでには時間がかかることもある。ビジネスではなく、したいことをしたいので、起業したということもあるかもしれない。
何をするにもやはりついて回るのでは、資金である。
最初は、投資することになる。投資資金をどう集めるのか?融資を受けるのか?融資を受けた時の返済計画は?綿密な市場調査をしたとしても、実際にしてみないと解らないことが多い。
投資すれば、回収しないとマイナスになってしまう。
技術的な起業では、設備投資は少ないと言えるが、安定した状況になるかどうかニーズによると言える。
起業のスタートを小さくし、状況に応じて変化させて大きくしていく。そして、あまり大きし過ぎないことが大事かもしれない。それと何より、起業には健康であることが大切です。投資を回収できるのに数年かかりますから…。
継続可能な企業をするには、後継者のことも考える必要があります。一代で終わる企業も1つの方法かもしれませんが…。
そう考えるとなかなか起業できないかもしれない。
やはり、風を読む力、そして、幸福の女神は前髪しかないと言われています。幸福の女神は通り過ぎるとつかむことができません。
チャンスと思うとしっかりとつかまないといけないということです。起業の風もチャンスも今は見えていませんが…。
自分の今の状況はピンチばかりです。
チャンスがピンチになっていたりして、今はちょっと大変です。
何とかピンチをチャンスに変えたいものです。起業はピンチになるのかチャンスになるのか。
他山の石(他山の医師)
この世の中に、他山の石がいっぱいあります。組織と呼ばれる中にも。
他山の石とは「よその山から出た粗悪な石でも、それを砥石に利用すれば自分の玉を磨くのに役立つ」という意味です。
玉石混交のこの世には、自分は玉でしょうか?石でしょうか?
玉になるためにまずは学ぶことです。学ぶことで、若い頃は角が立っていたが、だんだん丸くなっていくように。
ここで大切なのは、素材が玉か粗悪な石なのかです。
人も心次第では、玉にも粗悪な石にもなります。
どうしたら、玉になれるのでしょうか?
それは自分自身をしっかりと分析することです。良い所も悪い所も
なぜなら、自分を知らない限り、どう変えて良いか判らないためです。
医師は、意外と他山の医師かもしれません。良い所を学び、悪い所を修正していく。
医学以外を学ぶことで、玉に近づけるのではないかと思っています。医学は病気を知り、医学以外で人を知るのです。
桃李言わざれども下自ずから蹊を成す
この諺は、司馬遷の史記の李将軍伝にある「桃李不言下自成蹊」から来ております。
桃(モモ)や李(スモモ)は何も言葉を出していないが、美しい花が咲き、美味しい実が実ることから、その魅力にひかれて多くの人々が集まってきて、おのずと、その桃や李の木の下に自然と道ができることを言います。
道ができることで、さらに人が集まってきます。
例えると、魅力的な職場では自ら宣伝しなくても、多くの人材が集まると言えます。
美しい花は、見ればわかりますが、実はどうでしょう?
実が美味しいかどうかは食べてみないと判らないかもしれません。
しかし、実際に食べた人が、自ら宣伝しなくても、評判を広げてくれるわけです。
名実ともに評判が良ければ、辺鄙なところででも人が集まってきます。
自然に桃李(とうり)になることができればよいのですが、なかなか難しい時には、良い土壌や水、肥料で桃李を育てることも可能です。
仕事でいれば、環境と教育が大事になってきます。
桃李を育てるだけでなく、自ら桃李になることも可能です。そのためには努力も意識改革も必要かもしれません。