参議院選挙は人気投票なのか?

各党の著名人への出馬要請が報道されていますが、要請されている人は、その分野で活躍され、結果を残された方で素晴らしいと思います。

 

要請されることは、その能力を買われた結果かと思います。

 

でも、ちょっと待ってください。

 

客寄せパンダになっていませんか?

 

政治家になれば、何かできることがあるかもしれません。しかし、組織の中で、いかに1人の力がいかに無力かと感じることはありませんか?自分で結果を残した人は、つい自分の力を過信してしまうかもしれません。

 

どの分野も必ず、裏方の方が居られてこそ、結果を残してきたのではないかと思います。

 

異業種では、必ずしも結果を残せるとは限りません。

生兵法は大怪我のもとと言います。つまり、異業種への展開には、ある程度の準備は必要かと思います。

 

有権者も、賢明な選択をしないと、自分に返ってきそうです。

 

消費税を上げると、個人消費が減り、物が売れなくなると、企業の景気が悪くなり、賃金が減り、消費が減る。景気が悪いと税収が減る。今の税収が少ない状況で、支出が多いと、借金ばかり膨らむ。でも優秀な財務省の方は消費税を上げたい。

 

今の政権に景気対策を期待したのに、肝心な景気がうまくいかず、白紙委任のつけが来ているような気がします。

 

今度の選挙では、白紙委任や人気投票にならずに一票を。

政治家になるのに選挙のみ?

専門的知識を有する職業には資格試験があります。また、公務員になるには、公務員試験を受験し、合格しないとなれません。国会議員立法府にあって、法律の作成することになりますが、法律の知識なしでも大丈夫でしょうか?

 

ある記事を受けてのコメントではありますが、一般論としてコメントしたいと思います。

 

よく、当選してから、「これから勉強します」というコメントを耳にします。税金を使って、勉強するのではなく、勉強してから、立候補して、当選してほしいと思うのは私だけなんでしょうか?

 

知名度であれば、当選できるほど、甘くはないと思う一方で、実際に、集票できている現実から、政党はそうした人物を選んでいるようです。

 

公的な政治家の秘書は、国から給与も出るので、試験があります。

 

政治家に、最低限として、憲法民法、刑法、一般教養の試験を行い、ただし、大学で既に選考にしている人は免除にしたら、当選してから勉強しますと言うコメントは出ないでしょう。

 

どの世界も即戦力が必要とされています。医師国家試験に合格していない医師には診てもらいたくないですよね。

 

ヒアリングは聞くだけ…

組織の中でヒアリングありませんか?

今まで、私の職場でも中間管理職としてヒアリングがありました。その時に、法律の遵守を主張しました。しかし、ヒアリングの結果、どうなったかも何の回答もないままで、違法状態(いわゆるブラックホスピタル状態)のままで、また、ヒアリングがあります。

ヒアリングは、「聞くこと」と訳されますが、どうもそのまま、組織のトップは聞くだけのようです。一応、意見を聞いてやっているという一種のパフォーマンスとして、ヒアリングを行っているようで、しかも、定年間近のトップがヒアリングするわけですから、果して、何のためのヒアリングは判らない。

人の貴重な時間を使っている認識はトップにない。

 

私は、医学以外の知識を有し、はっきりとものを言っているので、こんな職場では重用されません。

 

皆様の組織にも、こんなことはありませんか?

 

唐の太宗である李世民の時代に、貞観の治と言って、中国史上、もっとも理想的な政治であったと言われています。李世民は、思ったことをはっきりと言う魏徴という部下を常に身辺に置き、すべて魏徴の意見を聞き入れてわけではありませんが、自分の鏡として重用しました。

 

トップに立つ人間には、それだけの度量が必要とも言えます。

私には、トップの器はありませんが、管仲楽毅諸葛亮のように王佐の才にあこがれ、晴耕雨読を行い、できれば、王佐の才を発揮したいと思っています。

 

しかし、周りにトップたる度量の人物はいないものです。

 

とはいえ、トップの器にはないので、果してどうしたものやら。

 

あの日

あの日に帰りたいということなんだろうか?

 

月に1回程度しか更新できないほど、いろいろとしないといけないことが多い…。

 

残念ながら、売れてしまう本のようですね(少なくとも出版社はそう考えている)。出版社は、初版に対して5万部としていることから、1500円×5万部で7500万売り上げ予想としても、初版に対する印税10%である750万が既に著者に渡っていると推定される。

その価値のある本なのかどうか読まないと判らないかもしれないが、買う気はないので、あえて内容のコメントは避けたい。

 

そもそも研究者であれば、一般書でなく、論文を証明すべきではないかと思います。

単なる随筆なら、それもいいかもしれませんが…。

 

あまり、この話でダラダラ書きたくないので、大学院を卒業し、学位を修得したものとしては、残念です。

 

人は、人生の岐路に立つことが多いです。そして、どっちを選んでも、片方の道がよかったのではないかとつい欲が出てしまいます。結局、どっちを選んでも、後悔してしまうのかもしれません。

一方、選択に悔いなしと思っている人は羨ましいです。決断に自信を持ち、後を振りからない。

 

そうです! 過去は変わりませんが、未来は変わります。今日は未来のためにあります。過去を踏まえて、未来を選ぶのです。

 

では、過去の失敗は、未来につながるはずです。でも、どうしても、過去に戻ってしまいます。あの日のように。

 

未来に向かって生きていく事がしんどくても、時間は限られています。限られた時間の中で、自分が今までできたことは何なのか?悩むことが多いでしょう。

 

表向きは強がりでも良いと思います。ただ、自分の中だけでは、失敗を謙虚に受け入れ、また失敗するかもしれませんが、学習はその連続です。

そして、大きな成功、業績も、試行錯誤の上に成り立っています。

 

あの日ではなく、未来の私にと言えるようになりたいものです。

 

 

時間の流れの中で

今年はどんな年だったでしょうか?

時間は人間が自転をもとに作り上げた観念です。1年と言う区切りをつけることで、1年という時間で何ができたか何ができなかったかを考え直すことができます。もちろん、1日の中で、今日できたこと、できなかったことを考え、1日1日大切に生きていきたいものです。というのも、明日、どうなっているか判りません。先を考えていてもその通りになるわけではありません。しかし、明日が何が起こるか判らないまま生きているのです。今日と変わらない日々が流れて行くのです。その積み重ねが1年です。

 

1年振り返ると

他愛のない1年だったような気がします。職場も変わらず、現状に不満を持ちながら、1年が過ぎてしまったというのが私の実感です。過去を振り返ると、後悔しかありません。1年を終えることができたことを感謝して、来年への希望を持ちたいと思っています。自信のない人生を過ごしてきました。多分、これからも自信のない人生を過ごすと思います。ただ、いろいろなことをすることで、気が紛れるのではないかと思っています。

今年は、医学書を出版することができ、学会事務局として学会の開催に関わりましたが、一般の講演が2回、学会発表が3回、研究会が5回、論文作成が3本程度で終わってしました。

 

来年は

来年も忙しい職場の外でも、いろいろと忙しそうです。どうも、走っていないと不安になるのかもしれません。とはいえ、講演などの依頼が来ないと寂しいし、来年も本が出せたら良いのですが…。こればかりは自分ではどうしようもありません。

 

来年の確定事案は、一般の講演が4回、学会発表が未定、研究会発表が未定、論文作成も未定、本も未定です。最近、資格も取れていません。何とも自滅気味です…。

大学で9月から教鞭(熱弁をふるう?)を取ることになりました。この準備で今から忙しくて何もできていないかもしれません。もともと宿題が残っているのが気持ち悪く、早く資料を作ってしまいたい気分です。

 

良いこと、悪いこと、いろいろなことがあったと思います。

それは、良いこともあれば、悪いこともあります。

昔から、

「禍福は糾える縄の如し」

人間万事塞翁が馬

という諺があります。

 

来年が良い年でありますように

 

心が落ち着く3つの言葉

さて、今日、3つの言葉がふと浮かびました。忘れないように、ブログに書きます。

 

■大丈夫

人は緊張したり、ピンチの時に、頑張れは良くないと言われています。むしろ、自分の状態を落ち着かせる意味では、今の状況について安心が欲しくなりますし、ピンチから抜け出す力が必要になります。その意味で、この「大丈夫」と言う言葉はいいかも。ピンチの時に、大丈夫、チャンスになるよ。チャンスの時に、大丈夫、そのままでいいよなど、どちらにもポジティブになります。

 

■何とかなる

いろいろと不安になったり、心配になります。でも、大丈夫です。何とかなると思えば、何となる。そう思うと楽になりませんか?もちろん、何ともならないこともあるかもしれません。そんな時は

 

■ひとりじゃない

人は社会の中で生きていく上で、1人で生きていくことができません。誰かが働いて、食べ物を作ってくれて、食べ物を食べて、寝る場所を作ってくれて、休むことができます。今、周りに人がいないくても、心の中には、多くの人が生きています。尊敬する人、身近な人、そんな心に生きている人が、その人だったらどうしていただろうと考えると、ひとりでないと思えれるかもしれません。

 

この3つの言葉をつなげてみましょう。

大丈夫!何となる!ひとりじゃない!

どうでしょうか?

口に出してみると、落ち着きませんか…

世界でいちばん豊かな大統領

「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」が絵本として発売されています。

 

昨日、ミスターサンデーというフジテレビ系列の番組で世界でいちばん貧しい大統領と言われたウルグアイの前大統領であるホセ・ムヒカ氏の単独インタビューが紹介されていました。大統領は国民の代表だから、国民の平均の生活をすると言われていました。

 

日本で、国民を代表するとされている国会議員が、国民と同じ生活をしている人が居るでしょうか?

そもそも、歳費だけで年収1000万円を超えています。そんな人たちが国民の生活を理解できているのでしょうか?

 

老子の教えに、

「足るを知る者は富む」とあります。

「人の欲望にはきりがなく、自分の満足する相応を知っている人は、たとえ経済的に貧しくでも、精神的には豊かで幸せである」ということからすれば、

 

実は、この絵本の題名は、実は、「世界でいちばん豊かな大統領のスピーチ」または「世界でいちばん幸せな大統領のスピーチ」なのではないかと思っています。

 

今の貨幣経済において、貨幣によって、生死が左右されてしまっています。貧困の連鎖からはなかなか抜け出しく世の中になっています。社会保障は脆弱で、年金を含めて、もはや、老後は自ら備えなけばならない状況にあります。貨幣経済においては、何をするにもお金がかかります。既に、お金の奴隷になっています。ただ、貨幣経済が無ければ、すべての人は自給自足の生活をすることになります。分業のためには、貨幣が必要です。

 

自分を振り返ると、少しでも経済的な安定を求め、全く心に余裕がなくなっています。労働と対価という意味では、対価のアンバランスが経済的格差を生みます。

労働しなければならない状況に自由もなくなっているとも言われています。

国は変わらないかもしれないけど、自分は変えられるとホセ・ムヒカ氏は言われていました。確かに自分を変えることができるのは自分かもしれません。心を豊かにするためには、最低限の生活で、後は、自分は何ができるかということかもしれません。

一人一人が変わることで、社会が変わるかもしれません。

そして、政治を変えることができるかもしれません。

礼節とおもてなし、様々な宗教に寛容で長い歴史をもつ日本の国民が、「世界で一番豊かな国民」と言われるかもしれません。